法政委員コラム

SDGsの浸透で多様化が進む社会にどう対応していくか
 ~新しい価値観の受け入れに理屈と感情の間で日々葛藤

公益財団法人 広告審査協会
 理事 事務局長 佐藤 建

日差しが強くて汗ばむ陽気の日のこと。車の往来が多いわりにあまり広くない道を歩いていた。両側の路肩に車道と線で区切られただけの歩道があるが、幅は狭く人一人通れるくらいしかない。ちょうど歩いていた右側の歩道が日陰になっていた。前方から30代くらいの女性が歩いてきた。女性は左側通行、交通ルール上正しいのは右側を歩行している私の方だ。2mくらいに近づいた。このままいくとぶつかりそうだ。私は立ち止まり女性を睨みつける。(避けるべきなのはそっちだろ。)変なおじさんにからまれたくないと思ったのか、女性は目を合わすことなく横をすり抜けていった。

近年、腹が立つことが多くなった気がする。日常生活のほんの些細なことからニュースで知る世界情勢まで幅広く、ルールやモラル、マナーに反していることに対して憤りを感じる。昔はそうではなかった。正しいか正しくないか、白黒つけるようになったからだと思う。若いころは物事の判断基準が定まっておらず曖昧にしてしていたものが、年を取るに連れ固まってきて、こうあるべきだと思うことがより多くより強くなってきたのだろう。

一方で、昨今、仕事をする上でSDGsを念頭に置くようになり、既存の価値観を見直す機会が増えている。そこで感じるのは、新しい概念を真に理解するのは大変だということだ。時には経験で積み上げてきた常識や判断基準を崩す作業が必要だからだ。頭でわかっても深層心理にまで浸透させるのはそう簡単ではない。例えばトイレ。最近よく、男女の別が同一色のピクトグラムで表示されているトイレを見かける。ジェンダー平等の観点で、男女を色分けするのはステレオタイプを助長するからよくない、という考え方が背景にあると思われる。だが使う立場で言うと、一瞬どっちがどっちか迷う。定着している男性=青、女性=赤は視認性が高い。秒を争う時もあり、色分けされている方がわかりやすくていい、とつい思ってしまう。他にも人権、差別、信条、ハラスメント・・・。最近は注意しなければならないことが多すぎて、人前で話すのに気疲れしてしまうことがある。

そんな中、ジェンダー課題をテーマにした勉強会で、ギャップ解消のためのチェックリストにあったEquality(平等)とEquity(公平)の違いの話が腹落ちした。機会を公平にするために、相手によって支援を変えるという内容。立ち見のスポーツ観戦に例え、公平とは皆が同じ目線で観戦できることと説いている。皆平等にと全員に同じ高さの台を配ったら高身長の人が得するだけ。180cmの大人には何もなし、150cmの人に30cmの台、100cmの子供には80cmの台を置くというように、その人に合ったサポートをすることでみんなハッピーになろうという考え方だ。

もちろん何を幸せと思うかは人によって違う。誰かが設定した理想や幸福を押し付ければ、それを不公平と思う人が出てくる。ジェンダー問題に限らず世の中の諸問題の多くは、長い歴史の中で形成された無意識レベルのところに染み付いている人々の思いが相反する時に起きる。それぞれが自分の主張は正しいと思う限り話し合いにもならない。同じテーブルにつき会話が成立するには共通の土台になるものや共通の言語が必要だ。私は公平の概念がそれになり得るのではないかと思う。皆が公平の考え方を持ち、その上で相手の立場に立ち、相手がストレスを感じない状態を想像できるようになれば、解決策が出てくるのではないか。

この思考が身につくと、無意識に人を傷つける言葉を発してしまうことが減る気がする。SDGsの実現に重要な要素である多様性の尊重にもつながっていくと思う。物事を白か黒に分けたくなる習性は今も変わらないが、そんな時は二択ではなく他の色があるかもしれない、と最近は考えるようにしている。何色に見えているか相手の身になって想像してみる。暑い日に道ですれ違った女性を思い返してみよう。肌が弱く日差しを避けていた人だったのかもしれない。もしかしたら日本に来たばかりの外国人だったのかもしれない。交通ルールという基準だけで判断せずに、相手にも何らかの事情があったのかもしれない、と考えてみたら怒りが小さくなった気がした。

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