はじめに~社会における人権意識の考察
広告業務に限らず、企業活動での人権配慮は益々重要になっています。人権尊重の意識は社会常識的な規範と言えることは、内閣府が5年ごとに実施している「人権擁護に関する世論調査」からも把握できます。最新の調査結果(2022年8月実施)でも、85.6%が『基本的人権の尊重』について認識している、と回答している点は一般的な感覚値にも近しいでしょう。その一方で、同調査の「人権侵害が増えているか?減っているか?」という趣旨の設問への回答については注意して確認する必要があります。この設問に「わからない」と答えている層はいわば「人権課題への無関心層」と捉えることが可能だと考えられますが、50年前では全体の1/3以上が該当していました。その後調査ごとに漸減しており、最新の調査では数%程度です。一方で「あまり変わらない」と答えた層は徐々に増え、前回調査(2017年)では過半数に及びました。この層は最新調査では10%以上の大幅な減少に転じましたが、その分「少なくなってきた」「多くなってきた」が共に顕著に増加することになり、人権課題への認識にはばらつきが生じています。また、依然として「あまり変わらない」層が最も多い状態ではあり、人権課題の実態が理解されていない可能性も懸念されます。
また、「自分自身が人権侵害を受けたことがない」と答えた割合は同調査でも7割を超えています。その一方で人権侵害、例えば「ヘイトスピーチを見聞きした『経験がある』」と答えている人も7割を超えています。さらに調査結果を詳しくみると、その『経験がある』とした中で、「不愉快で許せないと思った」と明確に回答したのは53.4%にとどまり、「日本の印象が悪くなると思った」「『表現の自由』の範囲内だと思った」「ヘイトスピーチをされる側に問題があると思った」「自分には関係ないと思った」もそれぞれ一定以上、見受けられます。(但し複数回答。)一昨年に東京都が実施した人権意識調査でも同様の傾向が見られ、人権課題を自分ゴトとして捉える難しさを改めて確認することにもなりました。
人権尊重の意識や差別・偏見を排除しなければならないという認識は、一般的な企業や組織、そして所属する個々人には定着している、と言っていいでしょう。差別的な企画やアイデアのインパクトで売り上げや集客に結び付けよう、という意識は見受けられません。一方で実務では差別や偏見への可能性を含んだ表現やアイデアが全く無いということでもありません。人権尊重の意識と実際の行動との間にギャップが生じてしまう理由や背景について、広告会社で人権担当の立場から考察してみたいと思います。
人権課題への向き合い方の難しさについて
実務で日々相談業務や研修の企画・実施を担当している立場から、前項で触れた〝ギャップ″が生じる背景としては以下の点が想起されます。
- ①人権課題は非常に多様で個別性も高い(各人権課題に対する関係性や意識も様々)
- ②日々新たな人権課題が発生しており、今までは看過されてきた人権課題が再認識されている
- ③人権的な可否・是非の判断はそもそも難しい
- ④業務をこなしながら人権的な配慮をすることも難しい
上記のうち、①&②は一般的にも言える点ですが、③&④は広告を含めたコミュニケーションビジネスは特に影響が大きいでしょう。今までにない発想やアイデアで多くの人の意識や行動の変容を促すコミュニケーションでは、今まで想定していないリスクや影響を予め想定して対策をする必要があります。もちろん、アイデアや企画に対してこだわりや思い入れがあるのは非常に大切なことですが、一方で冷静で客観的なチェックを早めにしたり、必要があれば内容の見直しなども検討する必要が生じます。これらの対応を組織的に行っていくためにも、研修や相談対応を通じて一人ひとりが人権に対する意識や理解を維持・向上する必要があります。
人権担当者の役割
日本では、表現における差別や偏見を具体的・明文的に規制する法律等は実際にはありません。各種法律、条令または条約、そして差別事案についての判例も参考にはなりますが、具体的な判断基準とするまでには及ばないケースがほとんどです。また、実際にも裁判で違法とされるような内容の表現が提案されることはあまり考えられないでしょう。過去の炎上事例や問題事例、またメディアの規定(例:民放連放送基準)はより具体的な参考となりえますが、直接的な判断基準とまではならないものです。そこで企業の人権担当の実践値としては以下のような視点を常に意識しています。
- 広告は視聴者が強制的に接触させられる場面も多く、不快感・嫌悪感をもたらす可能性も大きい
- 災害などの時事の影響で、表現内容への印象も常に変わる
- 広告を企画・制作する側に自己中心的な視点が無いか
(個人的な経験値や同質性の高い環境に身を置いていることの影響) - 共感の難しさ(”マイノリティ的な立場“の完全な理解は難しいことの認識)
日々進化する商品やサービスの広告宣伝のためにも、刻々と変化する消費者に訴求するためにも、今までにないアイデアや企画を社会に送り出していく広告業務においては、ケース・バイ・ケースでの対応を前提として向き合う必要が現実にはあるでしょう。同じようなことがエンターテイメント業界や、出版・言論の分野でも言えるのではないでしょうか。その際には、大前提とする視点として上記のようなポイントを日々心掛けています。相談を寄せる企画チームやクライアント担当者をサポートすべく、意識して多角的な視点を踏まえるようにする、ということを常に心がけています。
そして、相談対応の際に専門部署として提供するのは、「正解」や「結論」ではなく、飽くまで判断をする視点や再検討のためのアドバイスである、ということも常に協調しています。冒頭にも触れた通り、クリエーティブディレクター等の企画統括者が最終的には責任をもって判断するのが大前提です。その上で、専門部署のアドバイスや広告主の視点(商品・サービスの提供主として、実際の顧客からの反応にも接している)やメディアの視点(実際に視聴者、読者の反応に接している)も非常に重要です。これらの重要な関係先と必要に応じて検討や対話をしていくためにも、早めの段階で相談することが非常に大切です。
人権についての知識をインプットすることはもちろん大事です。但し、そういった知識も一般論的な場合もあるので、実際の当事者の話を聞くなど実情に触れることでより具体的な理解が深まります。但し、個々人で体験するのは限界がありますし、飽くまでn=1のケースだけに接していることは忘れてはいけないでしょう。限られた体験だけで関係する課題すべてを理解した感覚になるのは逆に要注意です。そういった限界をカバーするためにも、ある程度の知識や体験を持ち合わせた個々人同士が対話を通じてそれぞれに認識や体験をシェアし、より多角的に人権課題を捉える、といったことも組み合わせていく必要があります。ただ、対話だけだと個人的な感想や感情的な意見交換だけになる懸念もありますので、やはり一定の「知識」や「体験」が前提になります。
人権担当者として、私自身も常に学び直しを心がけています。人権的な視点や価値観は、ライフステージや周囲の環境によっても刻々と変化するものです。だからこそ、人権については常に繰り返し学ぶことが必要でしょう。特に広告コミュニケーションはメディアを通じて視聴者・消費者に大きな影響を与えますし、いったんリリースしたら取り消しや釈明も実際にはできない性質のものです。だからこそ、予め対話を通じた慎重な確認を強化していくことの重要性が今後は益々高まっていくと思われます。
以上