なにげないところに潜むジェンダーバイアス
どこのご家庭にもあるキッチンシンク。標準的な高さは、何センチかご存知ですか。 正解は、85cm。これはどのように導き出された数字でしょうか? カウンターの使いやすい高さは、身長÷2+5cmと言われています。つまり、85という数字は、おおよそ成人女性の平均身長である160cmを2で割って、5を足した数字です。
でも、料理をするのは女性だけでしょうか? 最近のキッチンシンクは、使う人の身長に合わせて高さを調整できるようになっていますが、「キッチン シンク 高さ」で画像検索(図1)すると、写真でもイラストでも、キッチンに立つのは女性ばかりです。「料理は女性がするべきだ」という固定的な性役割の根強さが感じられます。
このように、企業のマーケティング活動の何気ない表現に、ジェンダーバイアスが潜んでいることはしばしばあります。もちろん、広告制作に携わる人の中で、性差別を助長しようとか、性役割の固定化を促進しようとして表現を作っている人はいないでしょう。しかし、社会的に望ましいとされる「男らしさ/女らしさ」は、われわれの中に深く刷り込まれてしまっており、意図していないところで現れてしまうことがあります。また、男性・女性という男女二元論的な考え方を超えて、多様な性のあり方の人の存在を前提とした表現へと、さらに広告をアップデートしていく必要もあります。本日の勉強会では、広告で起こりがちなジェンダー表象の問題についてご紹介し、ジェンダーの視点をもって表現を検討する際のヒントになればと思います。
「ジェンダー」は「女性問題」ではない
2023年の世界経済フォーラムによる「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は146か国中125位※1。OECDなどの先進国どころか、すべての調査対象国の中でもかなり下の方に位置します。ジェンダー・ギャップ指数では、男女間賃金格差や下院(日本では衆議院)の議員における女性比率といった政治や経済に関する項目が注目されますが、それ以外にも日本のジェンダー不平等はさまざまな領域で見られます。セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖の健康と権利)の課題や、性暴力の被害経験、さらに女性の相対的貧困率など、ジェンダー不平等な社会の中で、女性たちが直面する問題は枚挙にいとまがありません。
客観的な指標に加え、人びとの意識レベルでも、日本社会がジェンダー不平等であると捉えられていることがわかるデータも存在します。2023年に電通総研で行った調査によると、「社会全体で男女は平等になっているか」という問いに対し、全体の66.8%が「男性の方が優遇されている」と回答しました※2。性別で見ると「男性の方が優遇されている」の回答率は、女性の方が男性よりも20ポイントほど高く、男性と現状認識に大きくギャップがあることもわかります。
一方、ジェンダー不平等な社会は、男性にもいろいろと否定的な影響を与えてきました。例えば、男性を社会的に優遇する代わりに、男は必ず経済的に成功しなければいけないとか、稼いで家族を養わなければいけない、といったプレッシャーが男性に与える負の影響です。
2021年に電通総研で実施した男らしさについての調査の結果では、「家族を養うためにお金を稼ぐのは男性であるべきだ」に「そう思う」と答える人が半数程度おり、いわゆる「男性稼ぎ手」規範が強く浸透していることがわかりました※3。また、「男性は他人に助けを求めることなく、自分の問題は自分で解決すべきだ」に「そう思う」と答える人は約4割です。助けが必要なとき、適切に他者を頼ることができなければ、心身の健康を害することにもつながりかねません。
そう考えると、ジェンダーにまつわる課題は、女性や性的マイノリティーだけではなく、男性にとっても他人事ではありません。「広告は社会の合わせ鏡である」と言われるように、広告が世の中を映すと同時に、世の中も広告を映すことがあります。ジェンダーの視点から広告で描かれる人びとの表現を再検討することは、すべての人にとって重要であると言えるでしょう。
広告におけるジェンダー炎上の傾向
「炎上」とは、「ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し、収まりがつかなさそうな状態」※4と定義されていますが、近年、広告もジェンダーの視点から視聴者の批判を受け、ソーシャルメディア上で「炎上」してしまうケースが散見されます。
こうした現象はアカデミアでもさまざまな角度から分析されています。たとえば、もっともよく引用されるものに、ジェンダー研究者の瀨地山角さんによる分類※5があります。瀨地山さんは、ジェンダー表象が原因で炎上する広告を、①女性の性役割の固定・強化、②容姿や外見を表現した「性差別」、③性的メッセージが強く、男性の願望が表出、④男性の性役割の固定・強化、という4つに分類されています。
分類の①は「『女性』を応援したつもりなのに『性役割』の固定化・強化と受け取られ炎上」、そして④は「『男性』へ共感を示したつもりが『性役割』の固定化・強化と受け取られ炎上」してしまったと分析されています。どちらも制作者が「よかれと思って」生み出したメッセージが、先のパートで述べたようなジェンダー不平等な現状への認識不足から、視聴者の感覚とズレが生じたために起こってしまった炎上事例だと考えられます。まずは、広告制作に携わる人がジェンダーに関する基礎知識をきちんと身につけることが、対策の第一歩となるでしょう。
「萌えキャラ/美少女キャラ」など二次元の創作物の炎上
また直近では、瀨地山さんの分類で②にあたるような女性の価値を「若さ」や「美しさ」を還元したような表現や、③にあたるような過度に性的な表現が、ソーシャルメディア上で炎上するケースが増えています。特に、いわゆる「萌えキャラ・美少女キャラ」と呼ばれる二次元の創作物の炎上が目立ちます。
メディア研究者・李美淑さんがおこなった2015年~2022年の炎上広告を扱う研究※6では、こうした「萌えキャラ・美少女キャラ」の何が問題なのかについて、「客体化」という概念を用いて分析されています。李さんによると、「客体化」とは「眼差しされる存在、対象やモノとされる存在として、『主体』の場/機会を奪われた『客体』として固定化する」ことと定義されます。言い換えると、女性が自分の意思を持った自律的な存在ではなく、男性の視点から見られる存在、利用される存在として描かれている状態のことです。つまり、単に「エロい表現だからダメ」とか「萌えは気持ち悪い」といった感覚的な理由ではなく、客体化された女性の表現がもつ意味や、それが社会に与える影響に批判のポイントがあることがわかります。
また、ジェンダー研究者の小宮友根さんも、炎上する広告の原因は「わいせつ」とは違った水準で捉えるべきであるといい、「客体化」という概念を用いて考察されています※7。論考の中では、女性を客体化する表現技法を、①性的部位への焦点化、②理由のない露出、③性的なメタファー、④意図しない/望まない性的接近のエロティック化、⑤利用可能性/受動性の表現、という5つに分類する方法を示し、イラストの具体例とともに提示しておられます。広告制作に携わる人や、チェックをする立場の人で、「萌えキャラ・美少女キャラ」を扱う際は、ぜひ参照していただければと思います。
感情論に矮小化せず、建設的な議論を
広告制作の現場にいて感じることは、ジェンダーの話はなぜだか個人の「感覚」の問題に矮小化されてしまう傾向があるということです。新しいテクノロジーやビジネスモデルについては、体系的に知識を習得したり、事例研究をしたりする人は多いのに、ジェンダーに関しては経験値・感覚値で対応できると軽んじられることが多いと感じます。
しかし、これまで見てきたように、ジェンダーという観点から広告に寄せられた批判は、「不快」「気持ち悪い」といった感情論を超えたところにあります。視聴者の反応を感情論に矮小化せず、性役割を固定・強化するような表現、そして客体化された女性のイメージがメディアに溢れるということが、どのような社会的意味や影響を持ちうるか、ということを踏まえて議論していくということが重要です。もちろん、唯一無二の正解があるわけでもなく、常に変わり続ける社会の状況にあわせていく必要があるため、大変な作業なのは間違いありません。しかし、その不断の努力こそが、広告制作に携わる人の社会的責任ではないでしょうか。
以上
- ※1 [^] 世界経済フォーラム(2023)「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート」
- ※2 [^] 電通総研(2022)「電通総研コンパス」第8回 ジェンダーに関する意識調査」
- ※3 [^] 電通総研(2021)「電通総研コンパス」第7回 The Man Box 男らしさに関する意識調査」
- ※4 [^] 荻上チキ(2007)『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』筑摩書房」
- ※5 [^] 瀨地山角(2020)『炎上CMでよみとくジェンダー論』光文社」
- ※6 [^] 李美淑(2023)「炎上する『萌えキャラ』/『美少女キャラ』を考える」『いいね!ボタンを押す前に——ジェンダーから見るネット空間とメディア』亜紀書房」
- ※7 [^] 小宮友根(2019)「炎上繰り返すポスター、CM…『性的な女性表象』の何が問題なのか」現代ビジネス(https://gendai.media/articles/-/68864?imp=0)」