TAAサロン あの人にきく

田中 巌夫 さん
人々の不調に寄り添い、ツムラとしてできることを考えて始まったプロジェクトが、思いがけない広がりをみせています。
株式会社ツムラ
コーポレート・コミュニケーション室長
公益社団法人 東京広告協会 理事

北村 誠 さん
プロフィール 1967年生まれ。北九州大学法学部を卒業後、1990年、株式会社ツムラに入社。茨城工場総務課に配属。97年、人事部人事管理課、2000年、ライフサイエンス本部マーケティング部、2003年、中国事業本部に所属。2005年から中国「深圳津村薬業有限公司」に駐在。2010年、日本に帰国し、「生薬本部・生薬業務部」に所属。2020年、経営企画室 室長に。2023年、コーポレート・コミュニケーション室に異動。高校、大学時代はバレーボール、入社後はウインドサーフィンやフルマラソンの大会にも出場するなど、スポーツをすることが大好き。ここ数年は、休日はもっぱら娘たちとスポーツ観戦やイベントに参加するのがリフレッシュになっている。

10年後のあるべき姿、「長期ビジョン」の策定を担当

……大学卒業後、現在の株式会社ツムラに新卒入社されたそうですね。

はい。私が入った1990年はいわゆるバブルの真っ盛りで、弊社の定期採用の人数が過去最多でした。当時、約3000人の社員数に対して、新入社員の数は約450名。私は茨城工場の総務課に配属されたのですが、同じ施設内にある研究所と合わせて、茨城地区だけで100人くらいの同期入社があったという、そんな時代でした。その後、2000年に本社のライフサイエンス本部マーケティング部門に異動しました。2003年からは中国営業部に所属して、中国市場向けに入浴剤「バスクリン」のマーケティングを行っており、月の半分くらいは中国に出張していました。中国にはもともと日本のような入浴の文化がないのですが、当時は経済発展が始まった頃で、上海、北京、大連などの都会にはバスタブ付きの家やマンションがどんどん建設されていました。それで、現地で各家を回ってお風呂の利用状況を調査したこともありました。また、大連をはじめ東北地方では、健康センターのような施設でも「バスクリン」を使っていただいておりました。2008年に、当社はバスクリンなどの家庭用品事業を売却しましたが、現在の業務につながるいい経験をさせていただいたと思っています。

2005年からは生薬調達の拠点である深圳(広東省)の「深圳津村薬業有限公司」の駐在勤務となりました。そこでは中国全土から生薬を買い付け、品質試験や選別をして日本に送るという事業を行っていました。その後、2010年に日本に戻り、今度は日本側で生薬調達を担当する生薬事業部に約10年間、おりました。それから2020年に経営企画室に異動して、23年に現在のコーポレート・コミュニケーション室に来ております。

……これまで手掛けられたお仕事の中でも特に印象深いものが、ご入社当初と、最近と、二つあるそうですね。

一つは、茨城工場の総務課時代に担当したKYT(危険予知訓練)活動の仕事です。当時、工場の機械の清掃中に誤って怪我をしてしまうような労働災害が頻発していて、安全衛生に関する活動を高めていく必要性が問われていました。それで私と、当時すぐ上にいた先輩の二人が中心になって、危険予知トレーニングを実行できる仕組み作りを担当しました。危険予知トレーニングとは、たとえば朝礼の際にその日の作業内容を確認し、危険な作業が含まれていないかどうかをチェックしたり、実際の作業の際には指差し確認をするなど、日々、確認作業を続けていくことによって、危険に対する意識や予知する感覚を常に身に付けるようにしていく訓練方法です。私たちはまず外部のセミナーを受けて、次に約1年をかけて工場の全部門でそれぞれKYT活動のリーダーとなる人を育成していきました。そして次の年から全体で一斉にKYTトレーニングを開始しました。仕事をしていて障害が残る怪我をしたり、最悪の場合は命を落とすような不幸につながることは絶対にあってはならないので、仕組みづくりには、かなり力を入れて取り組みました。今もこのトレーニングは工場で実施されています。

もう一つは、弊社の「長期経営ビジョン」の策定に携わったということです。弊社では以前から10年後のあるべき姿を「長期経営ビジョン」で掲げていて、2022年の4月に、2031年度までの「長期経営ビジョン」として「TSUMURA VISION “Cho-WA”2031」を策定しました。さらにその時、同時に、究極的に成し遂げようとする事業の“志”として、パーパス「一人ひとりの、生きるに、活きる。」も制定しました。

弊社の創業者が目指したのは、社会公益の一端となる意義ある事業をやっていくということで、以前から理念に基づく経営を継続的に実践してきています。新しいビジョンである「TSUMURA VISION “Cho-WA”2031」は、一人ひとりのwell-beingをサポートするために3つの“P”を通じて、心と身体、個人と社会が“Cho-WA”(調和)のとれた未来を目指す、というもの。PはそれぞれPHC(Personalized Health Care)=一人ひとりに合ったヘルスケア提案、PDS(Pre-symptomatic Disease and Science)=“未病”の科学化 、そしてPAD(Potential-Abilities Development)= 潜在能力開発、ということになります。

私は2020年から経営企画室の担当になり、2022年度から掲げる新しいビジョンの策定に全面的に関わることになりました。まず2020年度の最初の一年間は、弊社CEOの加藤照和が学長を務める人材育成機関「ツムラアカデミー」のプログラムの一環として10名程度のメンバーが、加藤と一緒に議論を重ね、ビジョンの土台になるような案を作りました。ここでは次世代の経営人財(ツムラでは、人材を人財と位置付けている)のメンバーで、将来の当社グループのありたい姿を議論し、作り上げたということになります。次の2021年度は、そのビジョン案を取締役会などで議論しながら、それをさらに中期計画に落とし込む作業をしていきました。そして2022年4月 に公表、という流れでした。弊社グループは2023年4月に創業130周年を迎えました。その節目の時期に10年間のビジョン策定や、さらに50年、100年先の未来を見据えて事業を続けていく“志”としてのパーパスの策定、ということに携わることができたのは、非常に有意義で、重要な経験だったと思っています。

コロナ禍以降に誕生した、新しい“対話”のかたち

……コロナ禍を経て、MR(医療情報担当者)の方々の活動が、大きく様変わりしたと聞いていますが、具体的にはどのようなことでしょうか?

弊社は医療用の漢方薬を取り扱っていますので、病院などの医療機関にMRが出向いて行って、ドクターに直接、情報提供活動を行っていました。それが、コロナ禍で病院には一切、行けなくなってしまったわけです。それでオンラインを中心に情報提供活動のスタイルを変えることになりました。最初のうちはオンラインで情報提供する基盤が社内になかったので、国内の多くの臨床医師の方々が登録しているプラットフォームのサービスを活用させていただきました。その後、徐々に自社で環境を整えて、今では企業のホームページとは別に立ち上げたメディカルサイトや医療従事者の方向けのサイトなどを中心に、メールの発信や動画の配信などを通じて情報提供活動をしています。

コロナが5類になって以降、開業医の方は面会の規制がなくなって、直接、お会いできる機会が増えてきました。といっても、完全にコロナ以前に戻るということは、もうありませんし、ドクターの方たちも、自分が好きな時間にアクセスできるようなオンラインでの情報収集のメリットを体感されてきているので、今は、リアルの情報提供活動と、オンラインのそれが半々くらいになっています。リアルの情報提供活動はコロナ以前の100パーセントまでは行かずとも、だいたい同じくらいの水準に戻ってきていますので、それに加えてオンラインということで、単純にいえば、コロナ以前と比較して、こちらからお届けしている情報提供活動の量は、倍くらいになっているというのが実情です。

さらにもう一つの変化もありました。オンラインの環境を整えてきたことで、そのツールをどう使ったらうまく情報提供ができるか、ということを、現場主体で若手のMRたちが上司と対話して、“こんなやり方もありますが、どうでしょう”という提案を積極的に行うようになってきたのです。それが、ほぼ全国の社内で起こってきました。何をすべきかという時に、若い社員が上からの指示を待つだけでなく、一緒に対話することでより良いものを生み出していく、という文化が徐々に育ってきているようです。じつは私たちは、社員の対話を大切にしようという「ツムラ“対話”セオリー」を企業文化として以前から実践しているのですが、リアルでなく、リモートでもそれが継続できているというのは、嬉しい変化ですね。

不調症状を抱え辛い思いをしている方に、我慢に代わる以外の選択肢の提起をしたい

……2021年3月にスタートした「#OneMoreChoice プロジェクト」について、どのようなものか、お話いただけますか。

弊社のメイン事業である医療用漢方製剤事業は、基本的に広告ができないということもあり、今も漢方について、特に若い世代には認知が進んでいないのが現状です。広報活動を進める中で、若年層においては特に不調症状を抱えたままで辛い思いをしている人が多いことも見えてきました。そこで、医療としての漢方を知っていただくにはどうしたらいいのかということを考えていく中で、 まず皆さんが健康に関して困っていることは何なのか、を調査するところから始めました。その結果を見て、当社として、その問題にどう向き合えるのか、を考えていこうとしたのです。それで、2020年に実施した調査の結果から、特に女性に関して、生理に伴うさまざまな不調症状などにおいて、体調があまり良くないにもかかわらず何となく我慢してやり過ごしている、という人の比率が非常に高いことがわかりました。

心身の不調を我慢していつも通りに仕事や家事を行うこと。私たちはそんな状態を“隠れ我慢”と定義して、「そのような時に、我慢に代わる選択肢を考えてみませんか」ということを提起していくことにしました。2021年のスタート時から、多くの人が抱えているその問題をより浮き彫りにし、我慢に変わる選択ができるようなアクションを提案し続けています。このプロジェクトは、漢方薬のプロモーションではなく、社会課題解決のための活動と位置付けています。「不調を感じた際には、休むことや、人に相談すること、症状によっては治療など、その人にあった選択肢がとれる、提供できる社会こそ心地よい社会ではないか」という部分にフォーカスし、その気づきを得てもらうところからスタートしています。

2021年は“「隠れ我慢」を知るきっかけ作り”、2022年は“目に見えない不調を可視化”する取り組みを行いました。そして2023年には“さまざまな不調に向き合う”ということで、男性と女性の更年期をテーマにしたり、大学と連携して大学生の「隠れ我慢」をなくす取り組みなども行っています。スタートしてから3年が過ぎようとしていますが、弊社の社内でもプロジェクトの趣旨に沿った職場環境を作るにはどうしたらいいか、というディスカッションを度々行っています。その中で、労働基準法上の生理休暇の社内名称を、「Femaleケア」に変更したり、婦人科検診(乳がん検診、子宮頸がん検診)は希望する全社員が会社の費用で受けられるようにするなど、より我慢をすることなく健康に社員が働けるような制度の改善にもつなげています。

さらに、この「#OneMoreChoice プロジェクト」は他企業や団体さまから声をかけていただく機会も増えていますので、この取り組みをさらに広めていって、心身の不調に対して誰もが我慢に代わる選択肢をとれる社会を作っていけたらと思っています。

……広告の仕事に関わっている若い方々へのメッセージ

社内でもよく言っているのですが、何かに行き詰ったり、重要な判断や難しい判断を迫られるような時には、原点に立ち返るということが重要ではないかと私は思っています。自分としての価値観を持っていることは大事で、じゃあそれってどういうところから繋がっているのかというと、意外と古典に原理原則が書かれていたりするものです。

たとえば当社では年に1回、「論語」についての講義をしていただいたりしていて、私自身は、古典とまではいえませんが、松下幸之助さんの著書『道をひらく』を毎朝、会社のデスクについて仕事を始める前に2、3章分、読み返したりしています。すると、今やっている仕事と結びつくようなことが本当にあるんですよね。そこから得られるヒントもあります。もちろん、合う・合わないは個人個人で違いますので、自分にとっての原理原則の元になるようなものを見つけて、それが本であれば手元に置いておく。あるいはメモしておく。それで、何かあったらそれを見てみる、そして立ち返る、というようなことをしてみるのもいいのではないでしょうか。

(インタビュー・文 牧野容子)

PageTop