TAAサロン あの人にきく

田中 巌夫 さん
ビジネス関連部門を統合した「メディア事業本部」で、紙面のみに留まらないお客様との多彩なつながりをつくっていきます。
朝日新聞社
執行役員 メディア事業担当兼メディア事業本部長

戸辺 久之 さん
プロフィール 1968年、福岡県出身。一橋大学卒業後、他社に就職した後、1998年朝日新聞社に入社し、現在までほぼ一貫して広告関連部署に所属。2016年5月、総合プロデュース室長補佐。2018年4月、デジタル本部長補佐、2019年 4月、マーケティング本部長補佐、2022年4月、東京本社メディアビジネス局長を経て、2023年 4月より現職。

入社3年目に自国開催のサッカーW杯事務局で奮戦

……これまでに手掛けてこられたお仕事の中でも特に印象深いものといえば、どのようなものがありますか?

入社以来、ほぼ大半は広告畑を歩いてきましたが、これまでに2回ほど兼務した仕事がありました。まず一つは、「2002 FIFAワールドカップ事務局」の仕事です。日本・韓国共催のこの大会で弊社はスポンサーを務めましたが、スポンサーであるだけでなく報道する側でもあり、さらに他にもできることを考えようということで、大会開催1年前の2001年にワールドカップ事務局が作られ、私もそこに配属されました。当時、私は入社3年目。兼務とはいえ実質的にはそちらが本務のような状態で、大会が終わるまでの2年間は国内の試合会場がある10の自治体(北海道、宮城県、茨城県、埼玉県、神奈川県、静岡県、新潟県、大阪府、兵庫県、大分県)と東京を行き来しながら、シンポジウムを企画・開催したり、行政にイベント開催などの交渉を行ったり、号外発行を計画したりと、とにかくあちこち飛び回る日々を過ごしました。

中でもなかなかスリリングだったのは、試合当日に会場で配布する「先発メンバー表」の製作でした。試合開始の数十分前に、両チームの監督から先発の選手名を書いた紙が審判室に届けられ、それがチェックを経て報道へと渡されます。我々はその紙をいの一番に受け取り、そのままダッシュでスタジアム内に持ち込んだ印刷機のところへ行き、メンバー表を印刷、それを試合観戦に来られた方に配るわけですが、それがもう毎回大人数が押し寄せて取り合いになって、配る人が潰されそうな状態になるくらいの大騒ぎでした。

……もともとサッカーにご興味はあったのですか?

じつは、小学生の頃から遊びでサッカーをやっていました。大学ではサークルに入り、卒業後、最初に就職した会社でもサッカー部に所属して、会社のある地域のリーグにも参加していました。そのようなこともあって、事務局での仕事は楽しかったですね。しかも、一生に一度、経験できるかどうかわからないような、自国で開催されるワールドカップに関わることができたのは貴重な経験であり、嬉しかったです。

もう一つの印象深い仕事は、わりと直近のものです。それは、2018年11月から2021年の3月まで兼務していた「デジタル政策事務局」の仕事です。弊社は1995年に「asahi.com(朝日ドットコム)」というサイトを立ち上げました。それから15年以上、無料メディアとして続けていましたが、2012年1月に「asahi.com」の名称を廃止してブランド名を「朝日新聞デジタル」に改称し、有料化に踏み切りました。しかしその後、2018年の段階においても会社としてデジタルはまだそれほど強化領域にはなっておらず、とはいえ新聞の販売部数減が進んでいるという状況でした。そこで、当時の私の上司であった役員がタスクフォース的な組織を作ることを決めて、「デジタル政策事務局」を立ち上げたのです。

朝日新聞の価値の源泉であるコンテンツを有料で提供させていただくデジタルメディアは重要であろうということで、改めてデジタルの価値やメリットを確認していきながら、社内のさまざまな課題や、対ユーザーへの課題に取り組みました。たとえば、編集局の仕事は基本的に新聞紙面発行に向けてのベストな体制が長年かけて組まれてきているわけですが、デジタルでは即時性が鍵になってくるので、デジタル向けに早めの出稿体制をとれるよう調整するとか、デジタルに携わるエンジニアを強化する、とか。また、当時の販売局では"デジタルを売ると紙の新聞が売れなくなるのでは"と思われていたのですが、実際にユーザーデータを見てみると、明らかに紙とデジタルでは層が異なっていて世代も違うので、"紙の新聞を見ていない層がデジタルを見ている"ということを社内で理解してもらえるような説明も行っていきました。変化を是としない方たちに、我々がしっかり説明をして納得していただくという作業を重ね、骨の折れる部分もありました。

そしてユーザー向けにもっと見やすい、分かりやすい、体験しやすい、時代にあったデザインも考えるなど、約2年半の間、どっぷりとデジタル政策の仕事に携わっていました。

既存のビジネス関連部門を統合した「メディア事業本部」の発足から1年

……朝日新聞社は2023年4月に社内のビジネス関連部門を中心に統合した「メディア事業本部」を発足されました。戸辺さんがメディア事業担当に就任されましたが、これまでの動き、手応えなど、お話しいただけますか。

「メディア事業本部」は既存の15部門を統合させたもので、朝日新聞社が提供するメディア、コンテンツ、イベント、サービスなどの商品を一元的に扱い、お客さまに最適なソリューションを提供することを目的として発足しました。簡単にいいますと、我々のメディア事業本部がカバーする領域は、"紙の講読料収入、デジタルの講読料収入、不動産収入以外のすべて"です。それらには広告をはじめ展覧会や展示会、住宅展示場、スポーツクラブ、バーティカルメディア、AIプロダクト、さらに知財も含まれます。たとえば記事をテレビ局に販売したり、ニュースデータベースを学校や図書館にご提供する、ということでもお金をいただいており、ビジネスになっています。ほかにもプランニング、クリエイティブ、イベント、マーケティング領域などもあり、本当に多岐に渡っています。

統合のメリットとしては、これまでは各部門が独立していて個別最適で収益管理をしていたのが、統合して見ることができるようになったので、どの事業が利益が出てどの事業が出ていないかということが"見える化"できたということがあります。これは会社としての一番のメリットだと思います。

社員側のメリットとしては、まず、以前はそれぞれ違うことをしていた部署が共通で会議をするようになったことによって、新たな創発が生まれる機会が増えたことにあります。いわゆる広告営業は、広告だけを営業しているわけではなく、展覧会や展示会、バーティカルメディアなどさまざまな商品があるわけですが、共通で会議をすることによって、それぞれに関わる人たちがどういう運営をして、次にどういうことをするか、ということを営業サイドに直接伝えることができるようになったわけです。逆に営業から、たとえば"今度、国際女性デーに向けてクライアントがこんなことをやりたいと思っている"という情報が入ってくると、"じゃあうちのメディアでこんなものを作れる"とか、"こういう展覧会を仕立てましょうか"という具合に、社内の情報の流通が非常にうまくいくようになった、ということを感じています。

他業種の方からしたら不思議に思われるかもしれませんが、新聞社というのは、販売、広告、編集、それぞれの部署の間にとても高い壁がありまして…(笑)、社内でもなかなか情報が気安く行き来するということがなかったのです。その意味では、やっと普通の会社のようになったといえるのかもしれません(笑)。また、これまで企画事業本部、広告局、知的財産室、マーケティング戦略本部など、それぞれの部署に長がいたわけですが、その長を"戦略"という一つの機能にまとめて会議するようになったことで、個々のメリットだけを主張することがなくなり、"会社全体を俯瞰して見られる"ようになった、ということもあると思います。

そして、こんなこともありました。弊社は2023年10月から、入力された文章の誤りをAIの機械学習によって自動で検知する校正支援ツール「Typoless(タイポレス)」を個人・法人向けに提供をスタートしたのですが、もともとは社内向けにエンジニアたちが作ったものです。

これは、昔から記者が必ず携帯していた"赤本"と呼ばれる校閲本(「朝日新聞の用語と取り決め」という社内のルールブック)の約10万個のルールに、過去40年分の記事のデータを加えて作った「文章校正AI」で、数秒で文章の校正をしてくれるというものです。これを外販しようという意見が出てきて、昨年10月に幕張メッセで行われた「AI・業務自動化展」にも出展してみたところ、かなり反響が良かったのです。現在、絶賛売り出し中で、法人契約も次々と入っています。もしメディア事業部ができていなければ、このツールはおそらく社内で使われるだけで終わりだったと思いますし、新しい部署ができて、そこで会社にある資産をどう生かすか、という文脈で考えたことから出来上がってきたもの、ということになります。

また、この展示会で驚いたのが20代・30代の若いエンジニアたちの行動でした。彼らは弊社のブースでお客さまに「Typoless」の説明をするために展示会場に行ったわけですが、現場ではブースの外に出て自らお客さんを呼び込んできて説明をしていたのです。日頃は営業などすることもなく社内で黙々とプログラムを作ったりするのが仕事であったわけですが、会場でアドレナリンが出てがんばろうと思ってくれたのかもしれません。そういう若い人たちの姿を見ていて、私はとても嬉しくなりました。営業の仕事にも興味を持ってくれたようで、それもやはり、多くの部署をぐしゃっと一つの丼(メディア事業本部)に入れて混ぜたらこうなったということかもしれません。そのような手応えといいますか、所属メンバーの意識の変容ということも感じています。

創刊150年に向けて、パーパスとビジョンを策定

……朝日新聞社は今年の1月に創刊145周年を迎え、節目となる150年に向けて朝日新聞グループ全体の企業理念(パーパス)とビジョンを作られました。

パーパスは、「ひと、想い、情報に光をあて、結ぶ。ひとりひとりが希望を持てる未来をめざして。」で、そのスローガンにあたるのが「つながれば、見えてくる。」です。また、実現したい私たちの姿をビジョンとして「明瞭」「挑戦」「共創」「循環」の4つのキーワードで表しました。150年に向けてパーパスを掲げる、その主語を「朝日新聞グループ」としているように、朝日新聞だけではなく、グループでしっかりとやっていきましょうという決意を込めて出したものです。また、「つながる」というのは本社とグループ企業のつながりもあれば、メディアと読者とのつながりもありますし、クライアントとのつながりもあります。

このパーパスの文脈でいうと、私たちメディア事業本部としての"未来に向けてのありたい姿"は、広告を始めとして展覧会などの各種事業を通じてお客さまとつながる、ということです。加えて、全国高等学校野球選手権大会を観てくださっている方々も、朝日新聞主催の大会ですから、お客さまであり、その人たちともつながりたい。新聞のみならず、美術やスポーツを通してもお客さまとつながる。きちんとつながって、価値を提供し続けられるような会社でありたいと思っています。

……ご多忙な中で、リフレッシュはどのようなことをされているのですか?

サッカーは約10年前まで子供のチームのコーチをしたりして続けていましたが、股関節や半月板を痛めてしまって、今はもうできなくなりました。なので、気晴らしに時間があるときはウォーキングをしています。仕事が終わって会食などの予定がないときには、会社から自宅までの10キロ弱を歩いて帰っています。また、最近は時間がなくて機会がないのですが、若い頃からの趣味は、釣りなんです。以前に約6年間大阪本社に勤めていた頃は、家が海の近くにあったので、5時半に起きて6時に家を出て釣りに行き、8時に家に戻ってシャワーを浴びてから会社に行く、ということもやっていました。今も可能であれば毎日、釣りに行きたいくらいです。自分が釣った魚を自分でさばいて食べるのは最高ですからね(笑)。

……最後に、現在、広告の仕事に関わっている若い方々にメッセージをいただけますか。

私は、ものの見方には"近目"と"遠目"があると思っています。近目は、目の前の仕事に情熱を持って一生懸命取り組むこと。そのスタンスは絶対に必要ですし、嫌な仕事もたくさんあると思いますが、情熱を持ってやりきるということがまず大事だと思います。その一方で、遠目で見るというのはちょっと引いてみる、ということ。この業務に無駄はなかっただろうか、本当にこれは必要な仕事なのか、というようなことを見極める力を養う、ということも大事なことだと思います。みなさんよりも上の世代の人たちは古い世代だから、当たり前のようにものをいいますが、若い人たちも、"これって、こういうツールを使ったらもっと早く進みますよ"とか、アイディアを持っていることもありますよね。そういう時は、遠慮せずに提案していただきたい。そのような意味で、近目と遠目というのは今の時代にすごく大事なことではないでしょうか。それがないとたぶん業務改革はできないし、DXなどもできないのではないかと思います。

あとは、深刻になりすぎずに気楽に構えておくこと、も大事ではないかと。私も"メディア事業本部が発足して部下が800人いて大変ですね"といわれたりしますが、大変だと思ったら本当に大変になってしまうので、もう気楽に構えてます(笑)。そういうことも大事かなと思いますね。

(インタビュー・文 牧野容子)

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