サッカーに関わる仕事ができたら、と中日新聞社へ。
……熊谷さんは、大学4年生の夏まで新聞社に就職するという選択肢は全くなかったのだそうですね?
大学時代は農学部農芸化学科で、主に発酵やバイオテクノロジーを学んでいて、将来は大学院へ進学し研究に携わる仕事ができればと考えていたのです。しかし、大学院の先輩の熱心な研究姿勢に触れる中で、粛々と研究室で実験を積み重ねていくという仕事は自分には向いていないのでは……と思い始めたんです。では就職をどうしようかとなった時に目に飛び込んできたのが、中日新聞に掲載されていた入社試験のお知らせでした。
じつは、中学・高校とサッカー部で、大学でも体育会のサッカー部で活動していました。研究の道に進まないのであれば他に何ができるだろうかと思った時に、サッカーも同じくらい好きで長くやってきたから、サッカーに関わる仕事はないかなと探し始めたわけです。そこで岐阜県出身の私にとってなじみの深い中日新聞が当時のサッカー日本リーグのカップ戦を主催していることを知り、中日新聞であればサッカーに関係した仕事ができるのではないかと思って応募しました。いたって、単純な思考と行動ですよね。
入社試験を受けた1989年はJリーグが設立される2年前で(開幕は93年)、複数の面接官から「バイオテクノロジーは今とても注目されているのに、どうしてそちらを辞めて新聞社に?」と聞かれましたが、そのたびに私は「Jリーグ発足で日本でサッカーはより注目されるスポーツになり、日本代表は絶対にワールドカップに行けます!」と熱い思いを繰り返し伝えたのを覚えています(笑)。その甲斐あってか、無事に採用になりました。
結局、長くやっていたサッカーが就職に結びついたわけですが、ふり返ってみると、小学2年生から中学校卒業まで新聞配達をやっていたんですね。早起きで健康にもいいし、お小遣いももらえるというので、弟たちや近所の同級生と一緒に、毎日約100部の新聞を分け合って配っていました。思い起こせば、サッカーにも新聞社にも実はご縁があったということかもしれませんね。

Jリーグ開幕。1993年5月15日、国立競技場、本社ヘリ「わかづる」から。
©東京新聞
入社翌年に名古屋本社広告局の配属になり、92年からは東京本社に異動、さらに93年1月に、地方を担当する部の配属になりました。93年といえば、5月にJリーグが開幕する年です。まずその年にジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)、そして95年には柏レイソルと、それぞれのチームがJ1リーグに加盟したタイミングで企画広告に取組みました。地元の広告主を募り、記事も自分で書いたりして……、あの時はついにサッカーに関わる仕事ができた!と感慨深いものがありました。
その後、出版広告部に異動して、出版社へセールスする担当になりました。そこでは、多くの出会いを通して、沢山のことを経験しました。中でも、某出版社の宣伝課長のHさんとは、かれこれ約30年、ご引退された現在もプライベートでのおつきあいが続いています。博学であるだけでなく、お酒も大好きで人間的な魅力に溢れた方で、いろんなことを教えていただき、育てていただきました。
特に学んだことの例を挙げると"手を抜かない"ということです。たとえば企画の説明にお伺いする時など、"これくらい準備していれば大丈夫だろう"と思って資料を揃えて行っても、Hさんからの質問で徐々に詰められて答えられなくなってしまう、ということが何度かありました。それは結果的に、私が質問に十分に回答する準備ができていなかったということです。手を抜いたつもりはなくても、Hさんの求めるレベルには到達していなかった。それ以来、できる限りの可能性を検討し、十二分に用意していくように努めています。まあ、それでも足りない場面は出てきてしまいますが、トライし続けるしかないです。

……プロフィールを拝見すると、一貫してメディアビジネス局でお仕事されていますね。印象深かったお仕事はありますか。
これまでを振り返ってみると、よく覚えているのは成功体験よりも怒られたことや失敗したことです。新聞は日々更新されるものなので、数か月かけて準備した企画でも紙面に出たらそこで一区切りで、すぐにまた次のことに向かっていきます。いい企画ができたと思っても喜びや達成感に浸っている暇はあまりないんですね。だけど、「あー、この失敗はひどかったな」というものはなかなか忘れられなくて(笑)。
失敗談としてまず真っ先に思い出すのは、広告局第一部に異動して、薬品メーカーさまを担当した時のことです。ある学会が名古屋で開催されることになり、医師など医療関係者が約3000人集まるということで、医学系の広告会社さんと弊社がタッグを組んで紙面に特集ページを作ることになりました。当時私は東京本社勤務で、東京と名古屋を行き来して、薬品メーカーさんに広告出稿のお願いしたり、学会会場の下見などで動いていました。けれど、広告会社の人から見ると私の動きは期待に沿えるものではなかったようで、途中で先方が「もうこの仕事をやめるわ」と言い出したのです。私にとっては突然で訳も分からず、「なんで自分がそんなことを言われるんだろう?」と。私としてはただただ戸惑い、数千万円という仕事がなくなってしまうかもしれないという事態の大きさに潰されそうになり、ショックのあまり初めて仕事で涙が溢れたのを覚えています。

その後のことは無我夢中ではっきり記憶がないのですが、上司が先方と話をし、最終的には考え直してくださって、その特集紙面を完成させることができました。だけど、私の中ではこの時のショックはとても大きく忘れることはありません。自己評価と他者評価の乖離の大きさに戸惑ったんです。自分ではしっかりとやっていると思っていても、相手はそう思ってくれていなかった。仕事における「人からの評価」の厳しさを痛感しました。手を抜かないことの重要性は理解していたつもりでしたが、その姿勢が相手に伝わっていなかったという点で、改めて、深く重い教訓を得ることになりました。
2026年は創業140周年。節目の年にふさわしいチャレンジ!
……中日新聞グループは2026年に創業140周年を迎えられるそうですね。節目に当たっての新しい取り組み、今後のビジョンなど教えていただけますか?
生活に欠かせなかった新聞の立ち位置は、インターネットやデジタル技術の発展で大きく変わってきました。世の中全体が、本当にあっという間に変化していますよね。弊社内の良い変化もあり、中日グループに「ジブリパーク」事業が誕生するなど、提供価値の変化や新たな兆しも見えてきています。スタートアップなどこれまでとは違うパートナーと協力する取り組みも増えています。こうした変化の中で、「中日新聞グループって、これからどういう会社になるの?」「どこを目指しているの?」ということを、社内外の皆様にハッキリと理解いただくために、会社の考え方(理念)を新しく決めて、イメージ全体を見直すこと(リブランディング)にしました。

創業140周年を機に策定した新理念体系
新理念体系は三層構造になっています。頂点にある「存在意義」は「あたらしいきょうを編む。この地とともに。」。これが一般的にパーパスと呼ばれるもので、普遍的な目標です。「あたらしいきょう」とは、昨日までの旧弊や理不尽、障壁が解消され、一歩進んだ前向きな社会のこと。そしてその実現に向けた日々の活動を編むという動詞で表しています。
二層目の「ビジョン」は、中期的な目標です。この先10年、創業150年へと向かうなかで注力する事業ドメインとエリアを定めました。三層目の「行動指針」は、これらの目標に向かうための社員の心構えです。もともと大切にしてきた社是である「真実・公正・進歩的」は、新理念体系を貫く柱としてこれからも守り続けます。それらを表現するためのVIも刷新し、企業ロゴマークを定めました。

新しいロゴマーク
制作はすべて内製で、社内の才能を生かしました。各局の若手が中心となって、約2年をかけてまとめました。140年の歴史を土台にしたリブランディングで、この難しい時代に全力で立ち向かっていきます!
……さらに、2026年のアジア競技大会は9月に愛知県で開催されますね。中日新聞ではどのように携わられる予定ですか?
本年9月にアジア最大のスポーツの祭典「第20回アジア競技大会」、10月には「第5回アジアパラ競技大会」が愛知・名古屋で開催されます。アジア競技大会は日本では1958年の東京、1994年の広島 に続き3回目、アジアパラ競技大会は日本初の開催となります。
弊社は、アジア圏から2万人ものアスリートと関係者が参加する両大会がスポーツを通じて地域に振興をもたらすことを期待するとともに、アジアパラ大会が開催意義として掲げている「多様性を尊重し合う共生社会の実現への貢献」に賛同して、大会パートナーとなりました。
140周年を機に新たに制作した企業ロゴ、メッセ―ジを大会を通じて発信し、多様化する地域社会において、これからも弊社が信頼できる存在であり続けるという意思を伝えたいと考えています。
特にアジアパラ大会への支援には力を入れており、パートナーとして、名古屋市瑞穂公園陸上競技場で行われるアジアパラ大会の開会式と閉会式の企画・運営を担います。会場設営のほか、国旗掲揚や選手団行進など各種プログラムの進行、演出の企画など、開閉会式の全てです。弊社がこれまでの歴史で培った力を結集させ、この式典を成功に導くことで、「IMAGINE ONE HEART こころを、ひとつに。」というアジアパラ大会のスローガンを愛知・名古屋から世界へ力強く届け、共生社会の発展に寄与したいという思いを持って準備を進めています。

アジア・アジアパラ大会開幕までの日数を示す名古屋市内のカウントダウンボード
(2025年9月撮影)。©中日新聞
アジア・アジアパラ大会での取り組みを、創業140年にふさわしい内容に仕上げるべく全社一丸となってチームワーク力で臨みます。
さらにさらに、2026年はプロ野球の中日ドラゴンズが90周年を迎えます!2024年は読売ジャイアンツが90周年でセ・リーグ優勝、2025年は阪神タイガースが90周年でセ・リーグ優勝をしました。今年はドラゴンズ90周年、で、優勝だ!と名古屋は盛り上がっています。私は2008年から約5年間、名古屋本社の勤務でした。ちょうどその間2010年から落合監督のもとで2年連続ドラゴンズが優勝し、毎年パレードを実施していたという楽しい思い出があります。またあの喜びを再び、と期待しています。

中日ドラゴンズ90周年ロゴマーク
……力の入るイベントが続きますね。中日新聞ならではの強みはどのような点だとお考えですか?
自らの実感でしかありませんが、「日本一読者との距離が近い新聞」ではないかと思っています。
その思いを改めて強くしたのは、2011年の東日本大震災の時でした。当時私は名古屋本社におり、被災地への義援金を募ることを紙面で告知すると、その翌日から本社一階のロビーに続々と読者が駆けつけてくださいました。企業からの義援金も多くありました。銀行振込でも受付けていましたが、現金を持って直接本社に来てくださる読者が非常に多くいらっしゃったのです。ロビーに長机を並べて義援金窓口を設置し、社員が交代で受付をしました。お子さんが貯金箱を持ってきてザーッとお金を出してくれて、それを数えて、「はい、〇〇円をお預かりしました!」という対応を日々行っていました。
そんな体験の中で、「これがやっぱり中日新聞の強みの原点だな」「こんなに読者の方々に、地元の方々に信頼されているんだ」と実感しました。その期待に応え、さらに育てていかなければいけない、という気持ちをいっそう強くしました。
寄付してくださった方々のお名前を紙面に掲載し、それだけで数ページに及んだ日もありました。毎日受付けてある程度まとまったところで被災地に届ける、ということを継続し、最終的に2019年までに90億円以上をお預かりしました。
(平成23年3月12日~同31年3月31日/93,503件/9,019,929,846円)
一家庭にお届けできるのは一部ですが、その一部の"重み"をかみしめながら、読者の方々に対して広告をお届けすることの意味や価値を、広告主の皆様に丁寧にお伝えしなければという思いでやっております。たとえば東京の広告主に対しては、広告掲載のみに限らずとも東海や名古屋マーケットで何か課題があれば、中日新聞の地元からの信頼と信用、ネットワークはどこにも負けないという自負のもとに、一緒に考え、解決を目指すというスタンスで取り組んでいます。
時に頼り、時に頼られながら仕事をしていくことが大切
……ゴルフを長年続けていらっしゃるということですが、他に好きなことやご趣味などはありますか?
国内旅行とお酒です。45歳で47都道府県にお邪魔できました。これもエージシュートかな?旅行はとにかく国内一辺倒です。気に入ったら再び訪れて、前回と同じように楽しむ事が多いです。近場では、那須町。自然も食も素晴らしく、毎年に数回伺ってます。そこで知り合った人と次回の約束をして再会したり、ゴルフ仲間になったりとコミュニティまでいきませんが、定期的に集うのが楽しみになっています。お酒は、ビール、ウイスキー、日本酒、ワイン、焼酎とそれぞれとても奥が深い。ハイボールならグレーンウイスキー派です。地元愛知なら「知多」がおすすめです。爽やかで食中のお供に最適です。地方紙の仲間とよく日本酒談義をしますが、地元の日本酒では「醸し人九平次」や「恵那山」が好きです。それぞれ名古屋市と岐阜県中津川市のお酒です。
半分夢物語ですが、将来は全国のゴルフ場を一人で周れないかなと思っています。初対面の方たちとラウンドするのに不安はなく、どんな人たちと会えるのかというのも期待の方が大きいですね。ラウンドで意気投合できたら、夜は一緒に地元の居酒屋で盛り上がりたいですね。また次の日に別のゴルフ場を目指す…みたいなことができないかなあと。日本全国、まだまだ知らない魅力がたくさんありますし、そんな旅ができたらと思っています(笑)。
……これまでお仕事を続けてきているなかでご自身が大切にしていることはありますか。広告に携わる仕事をしている若い方々へのメッセージもお願いします。
先にお話ししたHさんをはじめ、多くの方との出会いを通じて、自分が知らないことを知るチャンスを得て、未知の体験をして成長するということを何度も経験してきました。どれだけ人と会ってきたかによってその人の人生の選択肢の幅が決まってくる、ということを実感しています。会社でも"人生の選択肢の多さは、人に会って得られた経験の量次第だよ"と、言っています。
また、人から「よく頑張ったね」と認めてもらうこと、認めてあげることは、大事ですよね。目立つ仕事ではなくても、誰かから「よくやったね」と言われたこと、言ってあげることの反復が、充実した日常を作り出し、幸せな人生につながっていくと感じています。社内でも社外でも誰かから頼られること、頼ることが必ずあります。この頼ったり頼られたりすることの大切さを最近とみに思います。頼られたら嬉しいし、自分で解決できなかったら他の人に聞いて、つないであげることもできます。
こちらがちょっと頼って、相手からもちょっと頼られて、それ何度も何度も繰り返し回りまわって、人の役に立てた、認めてもらえた…という積み重ねが幸福感につながっていくと思います。
だから、人と会うこと、人と関わること、そして、頼り・頼られながら仕事をしていくことが、今のこの時代でも変わらずとても大事なことだと思っています。



